続・片言隻語

第7回 図書館司書の仕事 5.国書(和書)のメタデータ(書誌的データ)整備

 江戸期に入ると、和書の公共圏の実態を前提に、歌学が固定化してきた反省も兼ね、国学が確立する。そして国学でも顧みられないような書籍にまで目配りをした本格的な目録作業が塙保己一により行われ、「群書類従」として、書籍の記述内容に踏み込み、分類し、編纂された。「群書類従」は本編と続編よりなり、本編には江戸時代初期までの1273種の書籍を収録し、完成は文化3(1819)年。続編の完成は昭和期までかかっている。
 これを承ける形で、明治維新後、文部大書記官西村茂樹が「古事類苑」の編纂(百科事典を意味する類書としての編纂)を建議。明治12(1879)年編集開始。大正3(1914)年完成・刊行、但し、編集自体の完成は明治40(1907)年であった。
 このような状況下で、上代から慶應3(1867)年までに著述された国書を対象に、その解題書(「国書解題」)が佐村八郎によって編纂された。編纂作業は明治30(1897)年~明治33(1900)年で、2500余部の国書を50音順に配列した。これは研究者たちに歓迎され、盛んに利用されたが、これらの作業を佐村の個人事業として行ったこともあり、漏れやその他不完全な箇所も散見され、関係者からそれらが指摘されていた。この状況下で、昭和15(1940)年に至り、岩波書店が「国書解題」に相当する、より充実した目録・解題の刊行を企画し、原稿の準備を始めた。しかし、折からの大東亜戦の影響を受け、昭和20年には空襲のため、入稿した印刷所が被災するなど戦争終了後、企画の練り直しが必要になり、結局、執筆の手間のかかる解題ではなく、目録としての『国書総目録』の編集・発行に切り替えざるを得なかった。
 その結果としての岩波書店の『国書総目録』は昭和47(1972)年完成。その後、国書総目録のデータは国文学研究資料館に継承され、『古典籍総合目録』(図書基本データベース)となって、デジタル化環境のもとにある。

 この「群書類従」に始まり、「古事類苑」、「国書解題」、「国書総目録」と言った一連の流れは日本文化の基盤となる国書(和書)の公共圏を見事に記述している。ただ残念なことは、日本文化圏の立派な知的インフラとなっている、これらの作成・編纂に、司書や図書館が直接的、積極的に関与していないことである。その理由はいくつか考えられるが大きな一因として、国立図書館への納本制度が国立国会図書館の創設に至るまで未確立であったことが挙げられるであろう。
 書誌・目録、分類、解題・抄録、索引、文献展望等の、いわゆる書誌的メタデータ(二次資料)の作成・編纂・執筆は司書の基本業務であり、国立図書館の基本的な任務であるにもかかわらず、日本ではこれ等を篤志的な個人や研究者等の努力に委ねてきた。今や、この状態の改革に図書館の関係者、特に司書は積極的、かつ主体的に取り組むべき時に来ていることを強く認識すべきである。
 書誌的メタデータの作成、すなわち、特定先端科学分野の研究動向についての情報となる、研究論文の動向をまとめた「文献展望(レビュー論文)」を日本では多くの場合その分野の専門研究者が書いているし、彼ら(専門研究者)でなければ書けないと見なされている。しかし、本当にそうなのか?それが例えば司書にできる仕事なら、その仕事を司書に任せて研究者をその仕事から、少なくとも開放することにより、日本の人文社会科学分野のみならず、自然科学、生物医学、産業技術、更には芸術等の幅広い分野での専門家による高度な専門分野の生産性が著しく向上することが見込まれる。
 このためにも、司書の書誌的メタデータの解析・分析能力の向上と、その解析結果に基づく特定分野の文献展望等の報告類の執筆・公表が必要と見なされていると言える。
 このことは現状での司書資格付与のための大学等に於ける司書課程教育内容の見直し問題にも繋がる。1950年の図書館法に基づく司書資格はこの図書館法施行規則に準拠した司書課程教育の修了者に付与されているが、すでに資格制度発足から半世紀以上、3/4世紀近くの時間が経ち、司書資格、図書館サービスそのものも、その環境が大きく変化しており、すでに20世紀末頃から、その見直しと高度化の試みが始まっている。この資格高度化の見直しも視野に入れながら、司書課程教育や図書館サービスの改善のためにも、書誌的メタデータの解析に関する関心とその解析手法について、言及し教育する必要が不可欠と考えられる。


高山正也 

(掲載日:2023年1月30日)

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