続・片言隻語

第6回 図書館司書の仕事 4.日本における書籍公共圏の形成と展開

 一方日本では、現存する世界最古の印刷物である百万塔陀羅尼の経文数万点を今日に伝えているにもかかわらず、地中海文明圏における啓蒙主義の活動が、各種の図書館の目録に依存したような書誌的な活動の成果を図書館学の教科書には見つけることはできない。しかし、日本にも書物による知的公共圏の書誌的調整活動がなかったわけではない。その始まりは西欧文化圏でのGesnerの「世界書誌」よりもおよそ、650年もさかのぼる、9世紀末に完成したとみられる「日本国見在書目録」(藤原佐世編、891年ごろ完成、漢籍主体の1579部収録)にまで遡ることができる。その後日本は漢字からかな文字を開発し、国風文化の黄金期である、平安朝期の宮中女流貴族による平安文学の黄金期に入る。9~10世紀の時代に、女性もかな文字を駆使して男性同様に、詩歌、日記、物語、その他広いジャンルにわたる文学を花開かせた文化圏は世界で日本をおいて他にはないのである。
 にもかかわらずここに一つの問題が生じた。それは、平安朝の豊かな知的・文学的な創作活動により生み出された原稿が直ちに印刷・製本に回され、書籍として固定化されることはなかった。原稿のままに著者の手元から借覧・書写に回され、複製化は印刷ではなく、もっぱら書写に依存したため、誤写、欠落、乱丁等により、多数の異本とも言うべきものが出現した結果、この入念な校勘作業が不可欠になった。結果として書誌的な活動よりも校勘作業が二次的な知的な作業においては盛んに行われた。
 この日本古典文学の校勘作業の第一人者とされるのが歌人でも高名な藤原定家である。
現在、人類文化の至宝とされる日本文学の古典作品の多くが容易に鑑賞できるのはこの定家の忍耐強く地道な校勘作業のおかげといえる。
 鎌倉時代には経典類の版行が盛んに行われるようになり、「春日版」、「高野版」等の寺社版が、多く現存する。絵巻物もこの時代に多く創られ、「紫式部日記絵巻」、「駒競行幸絵巻」、「伊勢物語絵巻」、「平治物語絵巻」、「蒙古襲来絵詩」、「北野天神縁起」等題材も多岐にわたり、和書の公共圏も広がった。
 この様な国書(和書)の書籍文化の文化的空間を示す書誌的データの世界として、「本朝書籍目録(ほんちょうしょじゃくもくろく)」がある。中世(13世紀頃)に編纂された日本でできた書物(和書、または国書)の現存最古の総目録で、別名「仁和寺書籍目録」ともいう。日本で著作された書物493部を収録している。
 中世までの日本の印刷は朝廷や大きな寺社の出版計画による印刷工程の下請けに過ぎなかったが、中世末期の15世紀末には泉州堺の阿佐井野家や石部了冊などが出現して以降、出版は徐々に営利業として、印刷業の技術を利用して独立した文化的経済活動に発展した。やがて京都・大坂を拠点にそれらの事業は確立し、やがて、江戸もその中核的な活動拠点となるに至った。
 こうして書籍の公共圏は出版事業という営利事業として確立するとともに、その基礎を固め、規模を拡大し、文化の創造に貢献した。


高山正也 

(掲載日:2023年1月12日)

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