片言隻語
第8回 米国留学時代の思い出;図書館のイメージ(1)
米国に留学していた1980年代の初め、南部のルイジアナ州を訪問した。これはニューオーリンズで開催された米国専門図書館協議会の大会に参加するためであった。せっかくの南部への旅行であるので、その機会を有効に生かすべく、ルイジアナ州立大学の図書館学校を訪問し、また、ニューオーリンズ周辺で観光用に開放されていると旅行ガイドブックに記されていた南部の大農場主の館を訪ねた。ミシシッピー川の昔の船着き場の堤防から館まで数百メーターをオークの並木道が結んでおり、南部の強い太陽光線の下で、深い緑の木陰と鳥の声以外には何も聞こえぬ静寂が覆っていた。館にふさわしい厳粛な感じの正面の入口は閉じられ、人気も無い。そこで、建物の脇にまわり、通用口と思われる所から、案内を乞うべく声をかけた。ややあって、一人の住人らしい高校生風の白人の少女が現れたが、筆者の姿を認めて、恐れと驚きの表情を浮かべ、立ちすくんだ。おそらく、彼女にとって、初めて見るとも言える生の東洋人であったのだろう。状況を察した同行のイタリア系米国人の中年女性が、観光の訪問であると言い、案内を乞うとホッとした表情で応対を始めたが、その間も筆者には顔を向けなかった。日ごろカリフォルニアのバークレーで、“世界は一つ、人類みな兄弟”を地で行くような連中を見慣れていた筆者にとっても新鮮な驚きであったが、これが本当の米国人の世界観なのかもしれないし、こんなところにも米国の根深い人種問題が今に残る素地があるようにも感じた。バークレーの連中にも折に触れ、外国はどこへ行った経験があるかと問うと、約半数の学生(図書館学校の)は外国はおろか、東海岸にも行ったことが無いと言い、外国へ行った経験があると誇らしげに言う連中もその行先の大半は、カナダとメキシコであった。筆者が日本から来たと言うと、「ワオ、遠くから来たのね」と言う。「遠くないよ。太平洋を越えれば向こう岸は日本だよ。」と言うと怪訝な顔をして、「去年ロンドンへ行ったけど、10数時間かかった。日本はロンドンの先の、ベルリンの先の、モスクワの先の、シベリアの先でしょう」と言う。球体の地球儀の概念が無く、中学か高校で習った一枚の世界地図の概念で世界を考えている。まさに“日本は極東”である。考えてみると米国という国は各州から成る連邦国家である。州を越えての旅行は日本人の県を超えての旅行とは異なり、隣の州への旅行は日本での隣国への旅行よりもよほど時間がかかる。州が異なれば、人情・風情も法律も異なるのである。それなりに恵まれ、相応に豊かな自然環境と日常生活の中ではその枠外に飛び出してみようと言う気もあまり起こらないのかもしれない。ただ、米国の健全な一般市民の知的リーダーとなる司書予備軍としての有名大学図書館学校(大学院修士課程)の学生がこれでは困る。しばしば気のよい米国人の外国感が独りよがりになる原因の一端がこの様なところにもあるのではなかろうかとも思った。