片言隻語
第6回 日本社会の課題:日本の常識と世界の非常識(2)
この憲法以外に、日本とドイツの戦後体制形成における差異としては教育体制や、新憲法と密接に絡む、新時代に対応した国軍再建などが指摘されている。それらの具体的な内容は以下の通りである。日独ともに敗戦国であり、敗戦の直接的な当事者は、国家の総力戦となった第2次世界大戦といえども軍部であった。言うまでもなく敗戦に至った後、軍は解体されて、旧軍の軍人たちは職務(任務)が無くなる。日本では占領軍により、旧職業軍人には公職追放措置が取られたが、ドイツとて同様であっただろう。軍人であっても、家族を養い、自らの身を処すためにもなにがしかの収入が必要である。公職を追放されては民間の会社勤めをするか、自営業を起業するしか無い。しかし、敗戦に至る過程で徹底的に破壊されつくした経済のもとでは、民間の経済活動はほとんど機能しなかったであろうから、公職から追放されたとなると、就職は難しかったはずである。
日本では国民の多くが、帝国陸・海軍の再建に関心を払わず、むしろ敗戦の責任者として旧軍や軍人には反感さえ持っていた。そんな中での新憲法の制定であった。日本国憲法はその前文で「日本国民は、恒久の平和を念願し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と子供じみた夢見ごとを唱えて、国防は専ら占領軍と「平和を愛する諸国民の公正と信義」任せとし、小学生でもわかる、もし近隣諸国が公正と信義を持たない国だったらどうするかについては考えることを放棄した。少なからざる戦争被害を受けた国民の大半がその怨念を敵国であった占領軍当事国に向けるよりも、旧軍や軍人にも向けたのは当然であったとも言えるが、そこに占領軍による日本人に対する巧妙な洗脳が行われ、怨念は専ら、旧軍と軍人に向けられた。これは少なくともゲルマン民族には考えられないことであったという。何故こんなことになったのか。大和(日本)民族は文化度においてゲルマン民族に大きく劣る民族だからか。
こうして70年、今も、この憲法を改正するかしないかの議論が続いているが、旧軍人を対象に、ドイツの如く再軍備していれば、今どき憲法改正を巡って時間を割くような必要はなかった、とクライン孝子氏は言うのである。ドイツでは、東西に分割された形ではあっても国の独立にあたってその国軍の再建は必須の条件であることは国民大半の共通認識であったという。この結果、アデナウア―首相のもとで、旧ドイツ軍将官を集めて1955年にはプロイセン王国軍以来の伝統を持つドイツ連邦軍が創設されている。日本では1950年の朝鮮戦争勃発に際して警察予備隊の創設が、帝国陸・海軍解体の張本人であるマッカーサーGHQ司令官の指示で行われた。この警察予備隊は保安隊を経て自衛隊となった。と同時に旧軍の佐官級までの軍人の追放解除も行われ、かなりの人数が指揮官等に任用されたというが、将官級の追放解除はなく、この結果、自衛隊内では米軍の影響が強く、帝国陸・海軍の伝統は大きく薄められたといわれる。そのことは日本の本格的な国軍再建という大きな政治課題には触れないで、安直な措置で占領軍との間で手締めをしたことになり、ドイツのアデナウアー首相のように、大胆な、しかし安全保障という国の基本的な問題を占領の終了後直ちに解決してしまったような大きな決断が出来ずに、70年が経過することとなったとも言える。