片言隻語
第5回 日本社会の課題:日本の常識と世界の非常識(1)
読売新聞に「地球を読む」と言うコラム欄があることを御存知の方も多いと思う。2018年10月7日の同欄に細谷雄一慶応義塾大学教授が「民主政の危機:偏った民意が招く独裁」と題して一文を寄せた。趣旨は現在世界の民主主義に基づく各国の政治に巨大かつ重大な変化が生じているという問題意識のもとで、そのような変化に着目した英米の近刊書が紹介されている。その中で「興味深い事実として、1930年代に共に民主政の崩壊を経験した日本とドイツで、現在比較的安定した民主主義が見られる。日本とドイツは20世紀の歴史の中で民主政の瓦解に直面し、第2次大戦後にこれを復興させた。現在の日独の安定は民主政の崩壊がもたらす深刻な問題を他の国々より熟知しているからかもしれない」と言う。この見解の妥当性はひとまず置くとして、「だからこそ日本は民主政の崩壊がもたらす恐怖と中国の様な権威主義体制がはらむ問題を世界へ積極的に伝える責務がある」とも言う。
ここまで読んで著者はふと、クライン孝子さんの著作、『敗戦国・日本とドイツ:戦後70年でなぜ差がついたのか』(祥伝社,2015,311p.)を思い出した。果たして現在の日独の民主政は同じ様な出発点を持つものの、同じ様な中味の民主政と見てよいのであろうか。もちろん著者は細谷教授もクライン孝子氏も存じ上げない。偶々、その新聞記事を、単行書を手にしただけである。しかし、クライン孝子氏は祖国日本にあつい思いをお持ちの方とお見受けした。言うまでもなく日独両国は敗戦後、奇跡的とも言われる経済復興・高度経済成長を果たし、今では世界の主要国の仲間入りをしているが、その経済復興に続く高度経済成長をどのような思いや経過で、ゲルマン民族が、大和(日本)民族が果たしたのか、については大いに異なることをクライン孝子氏はその著書の中に記されている。即ち、敗戦慣れ(?)しているドイツ(ゲルマン民族)は、占領軍の指示・命令を自らの方針に合わなければこれを聞き流したり、強かに無視してゲルマン流を最大限に主張したのに対し、敗戦を初めて経験したナイーブな日本は、従順に、素直に、あるいは外国、他民族を信じて、占領軍の言うとおりに従った、と指摘する。その結果の一例が憲法(ドイツは基本法)であり、教育体制であったと言う。
先頃の自民党総裁選挙の結果、安倍晋三総裁が三選され、2018年の秋の国会では日本国憲法改正の問題が大きく取り上げられるであろうと言われている。日本国憲法は制定以来70年を経て、一度も改正されていない。一方、ドイツの基本法はワイマール憲法、ビスマルク憲法等の過去の憲法を精密に分析した上で1949年に制定されたが、早くも1951年に第1回の改正を行い、20世紀中に50回近い改正を重ねている。一方の日本国憲法は1946年の2月にわずか9日間で占領軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)のスタッフ中心に創られた草案が、日本側の多くの憲法専門家の手になる案を排除して採用された。そこには天皇制存続問題がからんでいたとはいえ、日本の伝統と西洋の理念を実にうまく統合した憲法として世界から高く評価されていた大日本帝国憲法との関係が拒絶されたに等しい新憲法で、ドイツの基本法の制定の過程やその内容とはかなり異なった憲法であると言われている。4カ国に分割占領されたドイツでは、新憲法を制定するなら、ゲルマンの伝統を忠実に生かした憲法であるべきであり、それは統一ドイツになってから制定するのが望ましいとの思いで、基本法に留めたそうだが、そのような配慮も日本には無かった。