片言隻語

第4回 利用者にとって、図書館はいかなる空間であるべきか

 図書館は静かな落ち着ける場所が良いのか、にぎやかで活気のある所が良いのか。1990年代のことであったか、東京近郊のある都市の公立公共図書館が新築オープンになった時のことだったと記憶する。図書館は街の中心部にあり、休日の午後は千客万来を通り越してラッシュ時の通勤電車並みの混雑になった。これでは本を借りるにも、貸出手続きをするためにサーキュレーション・カウンターへたどり着くことすらままならない。結果、無手続き貸出本(行方不明本、さらに言えば、盗難本)が続出した。これはその街に不心得者が特に多かったというわけではない。興味ある本を見つけ、借り出す手続きをすべく、貸出カウンターを目指し、大混雑の館内をうろうろするうちに人波に押されて、館外へ押し出されるという結果によるものが少なからずあったとのこと。いわゆる「中小レポート」の所説が広く日本の館界を席捲して以来、図書館は大勢の人が集まる方がよいとの感覚が関係者の間に広まった。挙句、図書館はにぎわい施設であり、人寄せのためには図書館をつくるとよいとの風潮が地域開発専門家の間に広まった。

 公共図書館も自治体の教育組織の一部門である以上、その運営・経営評価の対象となるのは当然である。その運営評価の指標として、貸出冊数は格好の指標となった。こうなると図書館側は貸出冊数の増加に血眼になる。その結果、図書館の蔵書はベストセラー本からなる文庫本に偏った蔵書構成となり、貸出順位の上位に文庫本が集中する結果を招来した。これでは先に述べた地域の書籍小売店の営業妨害と言われても仕方が無い状態になる。図書館は既述のように、より良い、より豊かな蔵書構成を持ち、拡大再生産が見込めない地域環境にあってはbibliotope概念に即した21世紀の少子高齢化する社会の公共図書館を目指す時が来ていると言えよう。 今こそ、今一度、図書館とは何のためにあるのかを落ち着いて再考すべき時ではないだろうか。

高山正也 

(掲載日:2018年10月15日)

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