片言隻語

第30回 新年のご挨拶 分別ある社会の公共図書館への元年へ

 令和3(2021)年という新年を迎えるにあたり、毎年のことながら旧年を思い起こし、反省するとともに、新年への期待や希望を考えたい。
 旧年は読者各位のみならず、日本中が、否、世界中がcovid 19なる中国武漢発のウイルスにより振り回され、大混乱した年であった。世界史に刻まれる年となるであろう。新年はこの感染症一過、一昨年までの感染症拡大以前の社会が戻るのであろうか。多分そうはならないとの見立ての方が多い。ではどうなるのか、考えてみたい。
 感染症も防疫上は抑制・制御され、営業時間の自粛や短縮、旅行補助などの停止や排除、が実現しても、20世紀後半からの世界観や政治観、学術・文化に関する情報流動、経済構造などが変化し、それらを下部構造とする人間の移動や行動パターンなどには大きな変化が起きてそれが今後に持続し、新たな世界標準となるであろう。
 その中にあって図書館はどうなるのであろうか。今一度、図書館はどうなるか、を考えてみようではありませんか。
 図書館とは利用者があって、はじめてその存在に意味が生じる。図書館の構成要素として、司書、蔵書、施設・設備に加えて、第4番目の要素に利用者が加わったのは20世紀の半ば以降の図書館学においてであった。しかし、ここで考えてほしいのは利用者とは地域社会の住民の全てなのであろうか。たしかに、一部の図書館学の教科書には図書館は地域社会の全ての住民の、年齢、性別、職業、出自、所得(納付税額等)、国籍等にかかわらず利用できると書かれている。確かに、図書館には大人も子供も来館するし、利用者登録に際して、先祖のことを尋ねられたり、納付税額証明書を要求されたりはしない。
 しかし考えるに、それにもかかわらず、図書館学では、一般の図書館サービスの説明に加えて、なぜか児童サービスについて、ヤング・アダルト・サービスについて、障碍者サービスについて、他文化サ-ビスについて、と特定の少数利用者集団を対象とした科目が設けられている。何故なのか。常識的に考えれば、これらの少数グループの利用者は図書館が第一義的に利用者とは想定していないグループであるから、一般的な図書館学の講義対象とはなりえないので、特別の科目が設置されていると考えるのが自然であろう。要するに例えば、もし視覚障碍者を利用者と想定するなら、点字資料等の特殊な蔵書の用意が必要となるし、日本語が読めない外国人(外国籍者)にも、まだ文字を十分に学習していない児童にも同様なことが言える。
 要するに現代の図書館(多くは公共図書館)は自由に行動・学習できて、所属する社会の政治的決定に参加できる知的な情報水準を満たした主権者(これをinformed citizenと言う)のための知識・情報獲得のための社会教育機関として存在する。少なくとも、日本国憲法下の日本の図書館はそのように占領下で、GHQのCIE(民間情報教育局)によって指導され、その方針が日本の行政当局によって受け入れられた。言い換えれば日本の公立の公共図書館は日本国の主権者(informed citizen)を第一義的な利用者と想定していると言える。
     このinformed citizenである一般主権者・利用者によって、図書館に寄せられる図書館サービスの利用要求は次のように分析できると、カリフォルニア大学のマイケル・バックランド名誉教授は言う。
 すなわち、サービス要求は情報源(sources)と主題(topics)に区分されそれぞれに厳密に区分特定されているものから、曖昧で特定されていない要求にまで及ぶ。これを2行2列の行列で区分すると、情報源・主題共にともに厳密に特定すべきは歴史調査(historical research)であり、主題は厳密に特定されていても情報源は何でもよいのがファクト・チェッキング(fact checking)、主題は特定されないが情報源が厳密に限定されているのが速報サービス(current awareness)、主題・情報源共に特定があいまいなのが教養・娯楽用読書(recreational reading)であると言う。
ここで注意すべきは情報源と主題が厳密に特定された図書館サービス、例えば歴史調査のための文献の検索においては、検索システムを利用した結果を機械的に提供し、提供された結果を機械的に受容しても多くの場合に問題はないだろう。しかし、これが情報源と主題があいまいな教養・娯楽のための検索となると、検索結果を提供する側も、検索結果を利用する側も十分慎重に検索結果として提供される情報を吟味する必要がある。要するに提供側も利用側も、そこには検索結果を提供・利用する自由を有するが、その自由な行動には、思慮深さ・分別(Discretion)を働かせる必要がある。そうでないと、教養・娯楽用の文献利用が健全な情報利用にならず、あるべき図書館利用の目的から逸脱する事がある。
 従来の日本の公共図書館サービスは主に、教養娯楽用読書のための図書の貸し出しに過剰ともいえる、努力と図書館資源を投入しており、図書館側も利用者側もその貸し出される図書の閲読が図書館やその利用目的に適っているか、図書館の設置目的に照らして、自由で、民主的な社会の有権者として十分な分別が働いているかに疑問が生じる。
 今やデジタル革命(DX)の時代になり、マス・メディアの崩壊・変質が言われ、ネットに支えられたSNS全盛の社会にあって、速報、ファクト・チェッキング、歴史調査の必要性が極度に増しているが、それは図書館が高度な検索サービスを求められ、そのような高度な検索サービスを要求する啓発された利用者・主権者(informed users)の存在が図書館、特に公共図書館の存在の前提になっている。日本ではその前提が不十分な図書館が少なくないことが危惧される。
 期待される機能を果たしえない社会制度に明日はあるのか。図書館が、今一度基本に立ち返り、なすべき仕事、社会的責任を自覚し、図書館の利用者が日本国の主権者としての分別を持って図書館利用を行うことで、貸出至上主義の図書館が分別ある社会の図書館として、一日も早い社会的な信頼回復を実現することに今年は踏み出す年になってほしい。

高山正也 

(掲載日:2021年1月6日)

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