片言隻語
第24回 図書館利用者志向の現代的な意味
日本の図書館の歴史は古い。8世紀の石上宅嗣が主宰した芸亭にまで遡ると言われるほどである。しかし現代の図書館と昔とでは、運営の理念においても活動の実際においても全く同じとは言い難い。我々が日々なじんでいる図書館は包括的に広い目で見て、明治維新期以降に日本に紹介された図書館であるし、より厳密に考えれば、戦後、連合国軍が日本に持ち込んだ図書館観を具現化したものでもある。
連合国軍は占領政策の一環に図書館を用いた。初期には占領政策遂行に資するため、CIE(SCAP/GHQ直属の民間情報教育局)直轄の図書館を全国に23ケ所も設置し、米国からのプロフェッショナル・ライブラリアンを館長として呼びよせ、配置したほどである。占領政策の基本方針も幾たびか変わり、初期には日本の弱体化、無力化を目指した占領政策も、後期になると、同盟国日本を経済復興させ、その社会に馴染ませるためのプロパガンダの拠点としてのCIE図書館となった。日本の図書館界にとって、このCIE図書館は新時代のモデル図書館でもあった。事実、これらのCIE図書館を通じて、雑誌・視聴覚資料の重視、開架方式、レファレンスサービスなどの新たな図書館のあり方やサービスが導入され、日本中に広がった。その図書館サービスの担い手である図書館職の養成についても、GHQが案を講じた。日本の大学に図書館学校を設置して、プロフェッショナルな図書館専門職員を養成するというのである。従来、日本の図書館員養成制度は旧制中等学校卒業者を前提としており、大学教育は前提でなかった。これを大学レベルで行うとし、こうして出来たのが現在の慶應義塾大学文学部図書館・情報学専攻の前身の文学部図書館学科で、英文名称はJapan Library School(日本図書館学校)とよばれた。学科主任は米国ワシントン大学教授であったロバート・ギトラー(Robert Gitler)であった。ギトラーの下には4人の現役の米国大学教授が米国図書館協会から派遣され、合計5名で日本での教育にあたった。
ギトラーによれば、当初、彼らは日本の図書館界にあまり、温かくは迎えられていないと感じたという。その一例が、1951年夏の東京で開かれた図書館員の集会で、ギトラーは日本人の図書館員7、8人にぐるりと取り囲まれ、質問、難詰を受けることになる。しかし、ギトラーは日本語が理解できず、日本人の言っていることが正確には理解できなかった。状況から察するに、占領下では、日本の図書館の向上・発展を目指すと言っていたので、日本の図書館界は公立公共図書館の全国自治体での必置義務と国庫助成の法的裏付けの実現を望んだが、前年の9月に成立した図書館法では、その言とは異なり、期待は全く無視されていたことへの大きな失望と不満があった。初代の国立国会図書館長の金森徳次郎は次のように述べている。「…新しい人がこの(図書館学科での=筆者注=)教育を受けたことは将来多くの影響を持つであろう。ところが実際はアメリカの書物を扱う知識(米国流の図書館学の意=筆者注)は日本人にはぴったりとあてはまらないので、靴を隔ててかゆきを掻くような気持が多いという評がある。それもそのはずで、日本の図書館知識は、知識そのものとしては相当発達しているからこんな答えも出る…。」(*1.金森徳次郎.書物の眼.慶友社,1953,p.)これが当時の日本側の図書館界のリーダーたちの率直な感じであったろう。ギトラーはキャンパスに戻って、同僚の米国人教師に「占領期間中にいろいろと発表されたが、その後は放っておかれているものが多い。こういう口先だけで終わるようなことを我々はやるつもりはない。我々は実践によって理解を求めるよりないのではないか。我々にできることは、我々が単なるアメリカ人としてではなく、図書館員の地位の向上に関心を持つ人間として、日本に滞在していることを、実践して見せるだけしかない。」と強調したという。(*2.:ギトラー, ロバート. 日本図書館学事始め. 今・高山編著. 現代日本の図書館構想.勉誠出版,2013, p.181-2.)
こうして、ギトラーたちの日本の図書館界に溶け込もうとする努力が実り、徐々に彼らは日本の図書館界のみならず一般社会にも受け入れられることとなった。そして金森は言う。「アメリカの図書館人は我等に二つのことを教えた。一つは、図書館の内容は社会人の精神の本格的な糧となるべきものであって、骨董的欲望を満たすものではないということである。いま一つは、図書館はいわば民主主義の雛型であって、本をえらぶにも、本を読むにも、本の相談をするにも、ことごとく利用者の自主的な精神を尊重して、社会教育的におしかぶせたような誘導的な教育を試みようとしないことである。」金森は、以上の二点は日本の図書館界にとって最も新しい刺激を与えるものであり、この考えを日本の図書館人にしみこませただけでも、ギトラーとその同僚の米国人教師たちに満腹の敬意を表したい、としている。(*3.:金森徳次郎.書物の眼.慶友社, 1953, p.37-8.)
この時から、70年。利用者志向を目標とする図書館が、無料貸本屋に堕してはいないか。民主主義社会の雛型として、主権者としての地域住民である利用者の自律的な向上心を刺激する図書館サービスを行っているか。こうした観点からもう一度、利用者重視と利用者の自主性の整合を考える必要があるのではないだろうか。