片言隻語

第20回 お盆随想

 今年も炎暑の八月がやってきた。日本の八月は祈りの月でもある。古来、旧暦の七月、新暦に直して八月には仏教の盂蘭盆会が巡り来る。いわゆる「お盆」である。この時には亡くなった先祖をあの世から我が家にお迎えして、久しぶりに家族と共に過ごしていただくと広く信じられてきた。この風習が広く日本社会に浸透していたその上に、1945(昭和20)年の8月には立て続けに、日本には悲しい出来事が生じた。いうまでもなく、8月6日、9日には広島と長崎に原子爆弾が投下され、無辜の非戦闘員たる一般市民が合わせて20万人以上が犠牲となった。15日には昭和天皇のご聖断によるポツダム宣言の受諾が広く世界に向けて放送され、大東亜戦争が終結した。この大東亜戦における日本人の犠牲者(戦没者)は約300万人ともいわれる。政府はこの戦没者の慰霊のため、毎年8月15日に慰霊祭を行っている。74年前に「日本の一番長い日」として映画にもなった激論の末に聖断が下った。
 この時にラジオを通じて国民に向けての玉音放送として流された昭和天皇の詔勅は、その原本が国立公文書館に残されており、数多い国立公文書館の保存公文書の中で、最も来館者の関心を集め、閲覧希望の多い公文書となっている。今や、その時から75年ほどの時が流れ、詔勅の文言はおろか、存在すらも知らない人も増えたかと思われる。時、恰も昭和、平成、令和と流れ、上皇陛下のお言葉のように平成の30年余には日本にはこの詔書に見るような戦争はなかった。しかし考えればこのような平穏な70年余の時間は先の大戦に倒れた多くの人たちの犠牲の上に築かれた平和であったともいえる。犠牲者は戦闘員だけではなかった。非戦闘員、すなわち、一般市民も多く犠牲になった。原爆犠牲者のみならず、東京、大阪、名古屋をはじめとする都市への戦略爆撃と称する無差別爆撃によるもので、この無差別攻撃は明確なハーグ陸戦協定に違反する戦争犯罪行為であった。
 戦後、占領軍による言論統制や指示のもとで、日本の反日オールド・メディアが率先して日本軍の戦争犯罪行為だけを大きく吹聴したが、これを上回るような犯罪行為が戦勝国側によって行われていたことが、最近の米国での文書の公開から明らかになっている。今や戦後70余年、世紀も変わった。それらを暴き立て、糾弾しても始まらない。すべては歴史の中の出来事になった。しかし、今の日本の繁栄や平穏な日常はこれらの多くの人たちの犠牲の上に成り立っていることに思いを致し、感謝し、記憶されるべきである。 「終戦の詔書」は国立公文書館デジタルアーカイブから全文を読むことができる。当時の日本政府の対応と併せて、参考に供したい。

国立公文書館デジタルアーカイブ「終戦の詔書」

高山正也 

(掲載日:2019年8月8日)

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