片言隻語

第19回 隠された日本の国是

 明治維新により始まった近代日本も、既に150年を経た。今日に至る150年の前半は19世紀の世界にあって、西欧諸国が世界、特にアジア地域の植民地化、帝国主義体制化を強力に推進する中で、大日本帝国としての日本は、富国強兵のスローガンの下、自国の開国とそれに続く独立を守るため近代化を推進し、日清・日露の両戦役の勝利を経て世界の主要指導国となり、ついには欧米列強に植民地化されたアジアの解放を目指しての大東亜戦に至った。
 以上は概ね、1945(昭和20)年までの日本の歴史観であり、この見方は敗戦後の占領軍の占領政策であるWar Guilt Information Program(日本弱体化計画)によって、徹底的に否定、隠蔽された。だが、20世紀末から、米国を中心に、今まで秘匿されていた多くの歴史記録が公開された。その結果、グローバリスト、リベラル系有識者、マルクス主義信奉者を中心に“正しい歴史”とされてきた反日史観の見直しが始まり、スターリンやチャーチルの思惑の下にフランクリン・ルーズベルトの術中にはまった日本が白日の下に曝された。この様な世界史的視点から見ると、異なる日本史が見えてくる。
 その一つが、日本の明治維新以来の国是である。この国是は、大東亜戦(太平洋戦争)終戦後、占領軍の言論統制とそれを受け継ぐマス・メディアを中心とする言論界の偏向史観の下で封印されて、今日の団塊の世代以降の世代は知らない惧れがある。戦後教育を受けた団塊の世代の日本人は、明治維新以後の日本の国是は「富国強兵」だけであったと信じていたが、その視野はもっと大きかったのである。

 そこで、三項目の国是を簡単に紹介すると次のようになる。
 ①日本の独立主権の維持:
 19世紀に日本が開国する頃から1945年までのアジアでは、独立国は日本の他にはタイしか無かった。他の国々はすべて欧米列強によって植民地化されていた。1930年代から日本と戦闘状態にあった中華民国(蒋介石政権)は、旧清朝領に複数あった一軍閥とも言える存在で、当時の支那(中国)大陸は半植民地の状態であり、とても独立国とは言える状況でなかった。そうした状況下での日本の独立を維持するための「富国強兵」であって、アジア地域への侵略的進出を主目的としてはいなかった。
 ②華夷秩序(支那(中国)をアジアの盟主とし、その下にあるアジア各国の階層的国際的な関係)に代わるアジアの新秩序構築と世界平和への寄与:
 清朝滅亡後も、支那(中国)はアジアの周辺地域の諸国・民族に対する覇権を主張するだけで、ここに進出する欧米列強に対抗する有効な手段を取らなかった。結果として、アジア一帯での植民地化が生じた。この植民地化での苦難から諸国を開放し、日本の独立と共に、開放されたアジアに新たな平和を招来することが日本の狙いであった。大東亜戦(太平洋戦争)で日本は敗れたが、アジアの植民地各国が独立したことにより、日本の目的は半ば達せられたとも言える。
 ③人種平等の確立:
 人種平等に関して、第一次世界大戦後のパリ講和会議(ベルサイユ条約)で国際連盟の創設に絡めて、世界で最初に提案したのは日本であった。この世界初の、人間であれば肌の色には関係なく、法の下での平等をうたう日本の人種差別撤廃提案を国際連盟規約に盛り込むことは、ウィルソン米大統領や西欧諸国の強固な反対により見送られ(葬り去られ)、会議の議事録には、日本が提案した事実と、この提案に対する採決結果(日本案に賛成11、反対5であったにもかかわらず、英米を中心とする世界の主要国、特に米国のウッドロウ・ウイルソン大統領の強い反対により、多数決ではなく全会一致が必要との理由の下で否決)が記録されるに止まった。この米国をはじめとする欧米列強の植民地支配の根底にある人種差別思想こそが、大東亜戦(太平洋戦争)の大きな伏線であった。

 明治維新以来、我々の先輩達は、この様な人種差別と帝国主義の中で開国し、国家の独立を全うしようと幾多の命を犠牲にしてまで努力を重ねてきた。この事実を我々も学び、次の世代へと正確に伝えてゆかねばならない。

高山正也 

(掲載日:2019年7月18日)

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