片言隻語
第17回 令和の図書館はどうなるのか(1)
4月が終わり、5月になると同時に、平成の世が令和に代わった。中村草田男大宗匠の真似をして、筆者の如き素人の駄句をご笑覧に供するなら、「桜散って、昭和も遠くなりにけり」である。その新たな御世はどのようになるかに関心が集まろう。そこで、先ず、令和の図書館を考える前に、平成、昭和の日本の公共図書館を振返っておきたい。
先ず平成の時代であるが、平成時代の日本の公共図書館は施設建設に関してのPFI(Private Finance Initiative)の導入に始まり、業務の外部委託の進展を経て、指定管理者制度の導入へと繋がった。この様な動きは20世紀後半の昭和後期、日本の経済高度経済成長期に「中小レポート」や「みんなの図書館」に示された公共図書館指導理念の下に、昭和期に盛り上がった住民と直結したいわゆる第一線図書館として設置された市町村図書館の運営の行き詰まりの結果の打開策であった。その打開策とは、公務員による図書館業務の実施、いわゆる自治体直営型図書館経営の破綻への対応であった。
さらに、この平成期の図書館を取り巻く環境は、特に情報技術の面ではデジタル化の進歩が著しかった。主に、若年層を中心に、その日常の生活行動そのものが大きく変化するような影響を、デジタル技術革新に基づく携帯端末の普及が日常生活に及ぼした。だが、日本の出版界のデジタル化への対応遅れの影響もあり、日本の図書館界はデジタル化への対応については、少数の観測気球的な言及を除けば、本格的な対応や動きは見られなかった。このデジタル化技術の日常生活への浸透は、着実に図書館利用にも影響を及ぼし、それは来館者数、貸出数、レファレンス・サービス要求件数の減少となって表れている。
一方、日本の公共図書館は財政的には、ほぼ100%が設置自治体に依存している。しかし日本の高度経済成長期を過ぎた平成期にあっては、自治体の財政は一般に厳しく、緊縮化の下にあり、経済的合理性の追求が重要視された。また、人事管理面では、日本の公的な組織ではProfessional(専門職)が制度として定着せず、Generalist(総合職)であることを前提の人事が行われ、特定職能への熟練は考慮されない傾向にある。すなわち、公務員司書は一定年限が経過すると異動を命じられ、多様な職場を異動すると、熟練司書となることができない。もし異動を拒めば、処遇の向上は望めなくなる。また、図書館専門職である司書の能力は、資料の分類、目録作成など、行政上の資料処理とも共通する職能であるうえ、資料を扱うことに抵抗感が無く、一般に事務処理能力が高い。それ故、司書の資格を持ち、図書館に配属されても、他部門に異動した後も高い職務遂行能力を発揮するケースが多い。その結果、自治体の職員削減のなかにあって、図書館から他部門に異動した有能な職員の図書館への復帰は殆んど望めなくなる。
こういう状況下で高知、金沢、長崎などの都市で一つの動きがみられる。これらの県庁所在都市は政府の指定した中核市でもあり、地域住民の生活上、図書館の視点から見ると共通点がある。それは何か。これらの都市の公共図書館を再建築・編成するにあたり、図書館の見直しを行い、しかも県と市が共同で新図書館を創ろうとしたり、既に創り、共同で運営している都市である。この様な動きをどう受け止めるか。「当然!」と見るか、「何という事をするのか!」と言うかである。これには、令和時代の日本の公共図書館がどうあるべきか、という住民の公共図書館の理解が関わっている。(続く)