片言隻語
第14回 御代替わりに日本のジャーナリズムを想う
今年は御代替わりの年である。平成の30年余の代が替わり、新たな代が始まる。その新たな御世はどのようになるかに関心が集まろう。平成時代の特徴はその前の昭和の代との比較で、より容易に理解できるから、平成の時代を振り返るだけでなく、昭和の時代、少なくとも先の大戦の敗戦後の占領下から復興、そして高度経済成長の時代までは遡って振り返る必要があろう。
そこに見える平成時代の特性は明治から昭和までの時代とは異なり、天皇皇后両陛下の祈りの下、戦争のない平和な時代であったが、一方で、自然災害が多発し、社会は少子高齢化が進み、近隣諸国による日本への侵略・人権侵害が目に余る等、日本の国にとっての内憂外患が顕著となった時でもあった。一方で、この平成の時代には情報のデジタル化が進んだ。ネットワーク化、PC化の進展も加わり、コミュニケーションの様式が大きく変わった。結果として、ジャーナリズムに代表される先の大戦後の占領以来、日本社会の言論空間を支配したリベラリズム、グローバリズム主導の世界に今や大きな変化が生じつつある。団塊の世代・高齢者層とSNS愛好の若年層との世代による情報入手方式の違いが顕著になった。団塊の世代は未だPCを日常使いこなさない人も多いが、PCはおろか携帯端末が身体の一部となっているような若年層とは全くコミュニケーションパターンのみならず、価値観や意見も異なる。団塊の世代の多くが依拠するオールドメディア、すなわち、新聞、地上波放送等は占領軍による歪められた言論空間の価値基準を未だに維持し、占領軍の強制や後押しで得られた「敗戦利得」に戦後3/4世紀を経た現在もこだわっている。一例を挙げれば、占領下でのGHQによる検閲は戦前の内務省警保局が行った検閲とは異なり、はるかに厳しく徹底した検閲であった。日本の言論空間は占領軍によって検閲が廃止され、民主化された、との俗説があるが、実際は占領軍による厳密で徹底した言論統制が敷かれた。内務省警保局の検閲は不適切個所を伏せ字にした事後検閲でしかなかったが、占領軍はゲラ段階で事前検閲を行い、読者には検閲の有無さえ気づかせなかった。新聞やラジオ放送に対しては「プレスコード」や「ラジオコード」を創り、徹底した言葉狩りまで行った。この言葉狩りは占領が終わって半世紀以上もたった現在も行われている。例えばマスメディアが「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と言い換えたり、「支那」を「中国」と言い換えたりさせるのはこの所為である。この様な単語の干渉だけでなく記事やニュース内容についても干渉した。この検閲の禁止事項は30項目にも及び、その主な内容は、連合国軍最高司令官、総司令部(SCAP)や、連合国軍構成国への批判の禁止はもとより、極東軍事裁判や日本国憲法にGHQが関与したことへの批判の禁止に加え、なぜか大日本帝国国民として連合国軍と戦ったはずの朝鮮人への批判も禁じていた。
こうして見ると、昨今、特に若い世代から偏向していると批判されている、新聞やテレビ放送等マスメディアの報道内容が占領軍の検閲指針に未だに従っていることが判る。
2019年は日本の独立回復70年に近い。そろそろ占領の残滓はきれいに清算すべき時でもある。平成の時代には天皇・皇后両陛下は大戦における激戦地を巡り、慰霊され、大戦の後処理とも言える幾多の業績を積まれたが、国民の側は社会や政治における先の戦争や占領の残滓の清算が不十分なままである。新しい御代にはこの昭和の大戦を日本民族の大きな叙事史の一章として正しく記録するためにも、このようなジャーナリズムの歪み、占領時代の遺物(団塊の世代もか?)の総決算が必要であろう。