片言隻語

第13回 さよならだけが人生・・・

 3月弥生の季節はその名の通り春が始まるときでもある。季節の行事としても、ひな祭りに始まり、東大寺二月堂のお水取りがあり、お彼岸となる。「暑さ、寒さも彼岸まで」の言葉に示されているように、3月は冬が終わるときでもあるが、特に関西地方では、お彼岸に先駆けて、お水取りを冬と春の境に位置づけ、「お水取りが終われば春が来る」と言い伝えられているという。月末には桜の便りが届く。
 一般の現代社会において、この3月は多くの企業では会計年度の締めの時期でもあり、それに応じて人事異動も行われ、転勤に伴う移動や若い人たちには卒業の時期でもある。このような移動には出会いと別れがつきものである。新たな人との出会いは形式的な挨拶から始まるのが通例であるが、親しく共に働き、学び、交流を重ねた人との別れはそれが一時的なもので、いずれまたその交流が復活できるとわかっていても感慨はひとしおである。まして、二度と会えるかどうかがわからない別れともなれば、何をかいわんやである。
 このような感情はどうも現代人だけでなく、遠く唐の時代の人にもあったようで、唐の詩人、于武陵という人が一片の漢詩を残している。すなわち、「歓酒」と題された五言絶句は次のとおりである。
  (白文)        (書き下し文)
 勧君金屈巵        君に勧める金屈巵(きんくつし=大きな金の盃)
 満酌不須辞        満酌(まんしゃく) 辞するを須(もち)いず
 花発多風雨        花開けば風雨多く
 人生足別離        人生 別離足(おお)し
この五言絶句が有名になった一因に、この詩に作家の井伏鱒二が名訳を付けたことがあるだろう。井伏鱒二の訳は次のとおりで、この訳、「花に嵐のたとえもあるぞ。サヨナラだけが人生だ。」の句は多くの人が一度や二度は聞いていよう。
 井伏鱒二の「歓酒」の訳
  この盃を受けてくれ
  どうかなみなみ注がしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  「さよなら」だけが人生だ
別離の酒宴にうってつけの詩だと思うがいかがであろうか。
 因みにこの詩の作者、于武陵(810-?)とは 中国晩唐の詩人、陝西省西安(長安=当時)の南郊、杜曲の出身。名は鄴(ぎょう)。武陵は字(あざな)であるが通常は字で呼ばれる。宣宗の大中年間(835年頃)に唐王朝の役人、現在流に言えば公務員である「進士」となったが、官界での生活に望みを見い出せず、書物と琴とを携えて天下を放浪し、時には易者となったこともあると伝えられる。洞庭湖付近の風物を愛し、定住したいと希望したが果たせず、嵩山(すうざん)の南に隠棲した。 ちなみに、嵩山とは河南省の登封市にあり、古代から山岳信仰の場として有名で、北魏時代からは少林寺などの道教、仏教の道場が建立された。また、唐代には副都であった洛陽に近い事から、政府との結びつきが強く、ここを本拠地としていた多くの道士や僧侶らが皇帝の崇敬をうけた。

 井伏の訳は読む人の年齢や境遇によって、さまざまに解釈可能であろうが、筆者自身の経験に照らせば、年齢とともに、共感の度合いが深まるようにも思う。後期高齢者に達した現在ではその思いが強い。しかし、もし筆者も若ければ、かえって井伏や于武陵に反発したかもしれないと感じていたら、寺山修二の詩に出会った。

さよならだけが人生ならば    寺山修二

  さよならだけが
  人生ならば
   また来る春はなんだろう
     はるかなはるかな地の果に
   咲いてる野の百合なんだろう

  さよならだけが
  人生ならば
   めぐりあう日はなんだろう
     やさしいやさしい夕焼と
   二人の愛はなんだろう

  さよならだけが
  人生ならば
   建てたわが家はなんだろう
     さみしいさみしい平原に
   ともす灯りはなんだろう

  さよならだけが
  人生ならば
  人生なんかいりません

さて、皆様はどちらに共感を感じますか?結局人生は出会いと別離を繰り返しつつ、最後には全て「サヨナラ」になってしまうものなのでしょうか。

高山正也 

(掲載日:2019年3月13日)

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