片言隻語
第10回 米国留学時代の思い出;図書館のイメージ(3)
ルイジアナ州立大学の図書館学校訪問した時に、対応してくれた教授が小一時間席を離れなければならなくなったので、筆者の話し相手にと、20歳台と思しき2人の図書館学校の女子学生を紹介してくれた。話題とて無いので、「図書館に対してどんなイメージを持っているか」と尋ねてみた。答えが返ってこないので、重ねて「それでは、図書館のイメージを色で表わすと何色になるか」と問うた。すると、しばらく考えた後に「茶色」という答えが返ってきた。その理由を尋ねると、「図書館と聞くと書架が思い浮かぶ。書架といえば、木製書架の茶色でしょ」と言う答えであった。筆者はこの回答を得て、流石米国と思う反面、米国でも、と思うこともあった。流石米国と思ったのは、図書館は”茶色”のイメージであったと言うことである。茶色は決して華やかな色ではないが、また決して暗い色でもないし、無色でもない。一定の明度・輝度・色相を持っている。しかもそのイメージは図書館に不可欠な要素の蔵書と、その蔵書に関する設備の書架に起因している。日本で同じ質問をすると少なからぬ人が同じく書架をイメージしてくれるのだが、その書架は金属製で、そこに塗られた灰色のペンキを思い起こし、図書館の色はグレーであると答える。色彩の無い無機質な空間が図書館と言う語でイメージされているのである。このイメージは図書館が職場として暗い、温かみが無い、夢が無いと言ったイメージに繋がりやすくなる。
一方、米国でも、と感じたのは、図書館と言う語で、書架や蔵書のイメージが浮かんできても、そこに図書館員像(司書)が浮かんで来ないと言うことである。図書館学校の学生の答えにして、自らが将来就くであろう司書職の存在がイメージされていないと言うことは如何なものか。このような専門職としての存在感の薄さが、一つには司書職の処遇の問題にも反映しているとも思われる。満ち足りた職員のイメージがわく職場は、相応な満足感に繋がる処遇を与えてくれる職場であると言えるのではないだろうか。