片言隻語

第1回 図書館は何のためにあるのか(その壱)

 皆さんは図書館が何のために設置されているかを考えたことがありますか。地域の住民(主権者)が通常目にする図書館とは、自治体によって設置され、住民は老人から幼児まで年齢の制限なく利用でき、それどころか、他の自治体の住民も、さらには外国人ですら利用できる図書館であり、「図書館法」と言う法律、実は公共図書館と言う種類の図書館だけを対象とする法律の第17条により、入館料も図書館に所蔵している資料類(蔵書)の利用料も無料とする(対価を徴収しない)ことが規定されている図書館である。このような図書館はただで本が借りられるために設置されているのであろうか。夏の暑い時や冬の寒い時に時間つぶしを兼ねて、涼を求めたり、暖をとる格好の場として利用するためにあるのだろうか。子供たちが長期休暇の自由研究や調べ学習をするのに便利な施設として創られているのだろうか。そうではない。

 図書館”学”という学問分野があるが、この図書館学では、図書館は知の智を扱う所という。図書館が主に扱う図書とは、そこに印刷された言語体系が何語であれ、人類の知的な精神的活動の記録物であると言える。図書館さえあれば、図書を通じて人は何時でも天神様、菅原道真公や、弘法大師、空海の英知に触れることができ、アリストテレスやニュートンの科学知識の在り方を学び、御釈迦様や孔子の教えに容易に触れることができる。世の、歴史上偉大な思想家、科学者、芸術家、文学者などから、名も無き一般人である先人、先輩たちの知的活動の成果が、その論著の閲読を通じて我々は何時でも自在に会話し、その知的成果を自らのものとし、触れることができるのである。そのような図書を図書館は扱うのであるから図書館は人類の知識と言う、巨大で貴重な資産を扱っていることになる。換言すれば、図書館の業務に精通するということは図書館にある図書、すなわち人類の知識に精通することになるから、図書館は知の智を扱うと言うことになる。今日的な表現を用いれば、知のメタデータを扱う所ということになるのであろうか。知識そのものは一次的な知であり、その一次的な知識を記録した記録物(図書)についての知識を扱うのが図書館であるから、これを二次的な知識と言う。かつて、図書館の社会的役割を紹介した「第二の知識の本」というタイトルの本もあった。(*藤川正信.第二の知識の本.新潮社,1963,340p.)図書館とはその図書館を所有するコミュニティーの知識をコントロールする役割も担う社会制度でもある。それ故、図書館と言う社会制度を中心的に動かす専門職としての司書は高度な知的専門職であり、単なる公務員・事務職や労働者ではない。

高山正也 

(掲載日:2018年7月19日)

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